2013年10月26日土曜日

6月地震、津波の被災地を訪ねました。パート2.


津波の爪痕、右側の土手は鉄道です線路が流され、場所のよっては土手すらも流され復旧のめどは立っておりません。



河口堰が建設されています、こんなに高くなってしまううんです、興ざめです。橋も突貫工事で復旧しています、ただ街がまだまだ出来ません。



 被災地を経由して釜石、遠野、花巻、会津を回りました。



 遠野駅です。昔話の語り部「童話の古里、遠野」にはいりました、私の知識は3,40年前から更新されていませんので,街全体がすっかり整備され「遠野テーマパーク」にまとめられ、本当は河童やら座敷童し、おしらさまも見たいのですが時間の無い我々にはとても便利です。




 遠野を先に紹介しましたが、釜石、花巻線という鉄道が通っています、釜石は幕末に製鉄所がつくられ明治に入って富国強兵策の名の下、大発展してきました外国人技師のもと百年を一騎に取り戻す幕末から明治の人々の血と汗の結晶です。
そして途中に「昔話の古里、遠野」があるんです、超近代とのマッチング此のアーチ橋なんて素晴らしいんだろう、これぞ日本の美ではないでしょうか。



花巻=宮沢賢治、新渡戸稲造でしょう、短い滞在でしたが礼儀正しくまじめな本当に「日本人」を感じる街です、ここも童話村、イーハトーブ館ほか良くまとめられ時間の許す限り散策したいものです。


 宮沢賢治の素晴らしさを改めて知る事になります、明治~大正に壮大な宇宙志向をもちまたエスペラントやら可愛い童話やらあらゆるジャンルにわたり想い勉強し、実践していくこの姿勢に感動を覚えずにいられません。


 農業指導実践の家「羅須地人館」なんと広大な敷地を持つ花巻農業高校の中に有りますですから見学するには学務室の御了解がひつようです、此処でも感激しました皆、宮沢賢治を尊敬し理想としていますから我々の様な物でも快く許可が頂けました。
そして造園実習ちゅうの生徒さんから挨拶されたんです、授業中ですから端を遠慮がちに歩いていた私達に!


 この部屋で農業について指導、相談を受けていたのですね。下の写真が外観です。


 そして帰り、先ほどの学務室入口の上部を見ますとなんと賢治の詩が横断幕に掲げられていました。


 会津、鶴ヶ城ですかくも悲しい松平容保、会津藩の人々初代藩主保科正行の家訓のもと誰もが避けた、逃げた幕末の京都守護を引き受け薩摩、長州に目の敵にされ徳川政権の締めくくりをさせられた雄藩です。


 城内裏手の高校ではあちこちの道場で武術の稽古をしていました、丁度、弓道部の女子が通りましたので写真を一枚!


 鶴ヶ城を後の会津街道を南下、121号線です。途中国道に併行して真っ直ぐに走る鉄道が有りとても寂れた感の無人駅が有ったので何となく駅に立ち写真をとりました、駅舎といっても小屋ぐらいかな?乗車賃表を見てびっくりなんと会津から日光、浅草まで行ってるじゃありませんか。



 最後の目的地、会津街道の大内宿です江戸時代そのままの宿場です本陣もそのままよくもソノマンマがありました、数十年前よりは大分観光化されましたけれどこれも時代のなせるサガ?新街道が出来た事に寄る「昔のまんま」が観光により変貌していく!


 でもでも郷愁有り手作り民芸品思わず手にしてしまいます、佐知さんの楽しそうな顔に出ています。


 お昼は当然お蕎麦です、茅葺きの家に入ると街道ですから宿でもあるか大きな民家造り豪雪地帯ですから柱梁の太いこと!そして神を先祖をお守りする神棚、仏壇をとても大切にします。




 お蕎麦の名前を忘れましたが一本のネギで食らうのですネギの辛みがとてもマッチして美味い!


 さっきの寂れた鉄道、実は違うのです居ましたよ一両のタンコロっていうのか可愛い電車がこれが日光、浅草と大河のごとく変身していくのです。


 私達も121号線をへて日光から高速に入り東北の旅を終わります、東北の皆さん心から声援を送ります、新沼健二、千正雄の故郷、漢字間違ってたらごめんなさい。









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