2015年12月1日火曜日

2015年晩秋

晩秋の庭、本当にバラが良く咲いてくれましたお客さん(友人や子供たち佐知さんの仲間たち)が良い人ばかりだったんでしょうね。





 これは、白いシュウメイギクです。














ガーデンテーブルにも落ち葉が積もっていきます。



櫂ちゃんのお墓も落ち葉に埋もれて行きます。



今年は干し柿を沢山作ります。


春、メジロが梅ノ木に来ます、でも梅ノ木は老木で花がほとんどつきません、ですからミカンやリンゴをこのエサ台に刺すのです来てくれるとよいのですが。


庭が騒がしいので出てみると、いたずら盛りのラブラドール兄弟バブ&ピーの登場です、櫂ちゃんの子供の頃にそっくり!


最近では少ない紫式部です。




11月の下旬から富士山が白くうっすらと冠雪しいよいよ冬の到来です。

2015年11月26日木曜日

武田神宮秋の大祭

今日は秋晴れ富士山もくっつきり


 武田八幡宮秋の大祭です、この神社は武田信玄の祖先が建立したものです、この地は八幡太郎義家の弟義光が納めていた甲斐の国です、頼朝が石橋山で旗揚げした時には甲斐源氏が大きな役割を担ったそうです、甲斐源氏の協力がなければ鎌倉幕府は成立していなかったかも知れません。


 神社前から遠方の山並みを望みますその中腹に我が家があります。髄神門(玄関鳥居に続く山門)です、階段を登り神楽殿につきます。



 神楽殿では笛太鼓のお囃子にお神楽が奉納されています、10人ほどの踊り手が次々に踊ります控えの間に皆さんが居る訳ですがお酒を飲み出番を待っていますから踊りが徐々にふらつき加減です。


佐知さんは信心深く更に登った拝殿でお賽銭を奉納、過分なる願い事をしたようです。







 森の木陰の中、何とも神聖な、荘厳な、深い歴史を感じます新羅三郎義光がそして鎌倉幕府の頃一族の南部利光?が盛岡南部藩の祖となる、何と言っても甲斐の棟梁家から出た戦国の雄武田信玄が人気いろんな歴史物語が発展していくんですねー。
実は今日私たちが来た目的は韮崎市で優勝した弓道家による「巻きわら謝礼の儀」を奉納する先生を見に来たのです、先生とは我が家の前の「陶芸家」ですご夫婦ともに有名デパートに収めている先生です。


 黙もくと復習に余念がありません、お神楽も前半の最後の演目になりました。



 いよいよ本番です、なかなかの威厳がまわりの空気を荘厳にします。




 射る瞬間ですが残念!カメラチャンスが下手でした。


 今日もリッピちゃんと一緒です、娘からお父さんたちにはペットは飼えないね!と断言されました、留守番、食事などなど問題があるようです。


2015年10月4日日曜日

思い出の旅

人生70年思い起こしの旅
明治村、犬山城とくれば長良川のまたは揖斐川の鮎でしょうか、旅館で食堂で塩焼きであったり甘露煮であったりちょっと気張ってお造り、鮎ずしなーんて思い起すともう止まりません、チャーントした鮎10年以上食べていません。

そこでまたまた地の利を生かし高速ロードで日帰りのスケヂュールを立てる,簗(ヤナ)漁で河原料理を出す店がコンセプトとにかく野趣溢れる豪快な鮎を沢山食べる、勿論リーズナブルな価格で!
ついでに歴史感のある城下町伝統の町を散策する。

長良川ぞいの郡上八幡に決め早速行動開始、朝6時に我が家を出、駒ケ根SAでゆっつくり朝食ソースカツ丼がやたらと美味しそうカツヤのは安いのですがいまいち、ここのは多分地元産の豚で脂もおいしい朝からこの食い意地すごいでしょ!

長良川に沿って国道を郡上八幡へ、10時に到着観光マップに従い散策開始。

日本名水百選第一号の町、いたるところに清水が軒下を流れている 


 城下町風情,鍛冶屋町、職人町、辻の突き当りには寺が配されている



 軒の先斗(ポント)がリズミカル


 水路が綺麗にそして植栽が派手ではないが雰囲気を醸している



各家々にはさりげなく季節感を演出し色紙に俳句が詠まれています


そして美濃紙のふるさと和紙のお店です



自然の野の草花が何とも言えず良い,多分俳句には欠かせない野草かも?



そして私の大好きな城、町屋から歩いて15分ほど登っていきます、鮎が控えていますから当然のぼりました


 幕府の命で破却した天守が復現したのが昭和8年で全国で最初だそうです、司馬遼太郎氏に日本で一番美しい山城と評されたとのことです


再び町家へ、明治時代の洋館も「伝統的建造物群」のなかに溶け込んでいます、ナッチャンノ写真館的です





長良川にきました巨大な簗(ヤナ)、こんなの見たことない



 河原の野趣溢れる料理や、と言いたいところですがここは観光バスもくる半常設のお店です鮎は美味しかったですよ。


以上、思い出を辿って(鮎の味を思い出す旅でした)