2016年5月23日月曜日

小海線の旧道を歩く 続き

昼食を済ませ11時45分小海駅を後に立岩湖に向けスタート。


10分も歩くともう50メートルを超えるようで下方遠方に見えるのが小海中学校です。


会社やら工場がだんだん少なくなり、いよいよ部落(区)の民家だけになってきます最後に見た工場は野沢菜中心の漬物屋さんでした。


1時間半ほど歩くと北相木村と南相木村との分岐に来ましたここを右に曲がります。


そして少し行くと何やら戦時中の国民服の親子像に出くわしました、説明書きを読むと、過去に南相木村で戦死された方が60人強(碑の裏の名簿を正確に数えずすみません)いましたとの事、この1本松に出征していく家族が集合しここで最後のお別れをしたそうです。


道すがらいろんな石碑がありますがやはり当時の主要な交通手段である馬を祀る碑が多いようです。


すでに2時間歩きましたチョット休憩にとバス停の椅子に腰かけるとツバメがにぎやかにエサを運んでくるではありませんか、でもこの巣チョット変わっています3連で入り口が手前と奥の2か所でしかも上の方にちょこっとしか空いてません、最近ツバメの巣がカラスに壊されヒナが食べられることが多いそうです、ツバメたちも対応したのでしょうか?


相変わらず豪農の家が多いですこの家は恐らく90年前ぐらいの養蚕農家でしょうか?


申し遅れましたが南相木川(千曲川の支流)に沿って登っていきます、龍安寺の石庭に通じるものがあります日本人は自然の美を大切に周囲との調和を第一に考えます、龍安寺は荒々しい海をイメージしていたと思いますが。


のどかで落ち着いた農村風景です。


村役場に到着しました、村人口は1200人をチョット下回る程度ですが役場は立派です。



小学校です、生徒数はスーごく少ないと思います、がこれ日本の誇ることだと思います必ず小中学校が立派なんです。


もうこの辺りは標高1000メートルくらいかと思います川の流れも下の方になり渓谷の流水音も心地よく木漏れ日にきらきらと美しく光ります、そしてフジの花が木々に賑わいを醸しています。


道をひたすら歩いていると渓谷越しに白壁の茅葺き屋根が見えるではありませんか何か?確認したくて橋を渡り近づいて見ました、昔、回り舞台だったようです、ですから床が高くなっています人口が少なくまた観光客も少なく維持管理が大変だと思います、いつまでも残して欲しいですね。



もう2時間半歩いてます向こうの1番高い山の右の方の切れ目が「馬越峠」標高1620メートルと思われます、今日泊る立岩湖はその8キロほど手前です。


やっと着きました「立岩湖」です、小海駅から3時間半歩きました。


渓谷を眺めるとひときわ大きな岩が中世の城のように立っています多分あれが「岩立」の名の由来かも?そして立岩湖は人工湖のようですダムが堰き止めています。


湖沼名と立岩荘の看板です。


まだ3時半ですからチョット湖を一周りします。



対岸が先ほど着いた立岩荘です。



カモが悠々と泳いでいます。



明日の登りは相当きついのでお風呂でよーく足をほぐし、ビールとお酒で体中の筋肉をほぐしゆっくり休むこととします。
                                                   続  く     

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