2016年5月24日火曜日

小海線の旧道を歩く 


朝7時朝食を摂り7時半、荘を出ました、今日の行程は馬越峠まで8キロ高低差600メートルを登り川上村役場までの下り6キロそして千曲川に沿って小海線「信濃川上」までの6キロ計20キロを歩きます、そして13時30分の小淵沢行きに乗ります、美しい立岩湖に別れを告げ軽快にスタート。



標高1200メートル位か、まさに天空の高原畑。


畑を眺めながら登って行くと木陰がそして人家が見えてきました。


すごい立派な農耕車、トラクターの様なグレーダーの様な高原野菜を栽培するに欠かせない道具なんだろう!人の好さそうなご主人にいろいろ尋ねると「見栄」で持ってんだよ!と言っていましたがなかなかどうしてやはり豊かです。
このご主人私が歩くコースを聞きびっくり、明日野辺山から小海までの往復マラソンレース「八ヶ岳野辺山高原ウルトラマラソン」がありご主人も参加するとの事、距離80キロ高低差900メートル、まさにウルトラマラソン早い人で8時間ご主人は12時間だそうです!



 そしてここは戦後の開拓村立原地区との事です、マンサード型のハウス,40年位前まで八ヶ岳高原にたくさんあった牧畜舎です。


 農業を辞めてしまったのか廃屋になってしまった家もあります。


やっと立原高原につきました、馬越峠までの半分です。


水を飲み日陰で休憩を取ろうと管理棟に入ると私の友人にそっくりなおじさんがいるじゃありませんか、歩いて峠を越える人は珍しいねと感心していましたここが標高1400メートルだからあと200メートル1時間半は掛かるねえー、ですって戻りたいけどもう遅い頑張らなきゃ!



川上村まで8.5キロとあります。


道はますますきつく狭くなってきました。


おじさんが言うように峠には1.5時間後出発して3時間後にやっと到着しました、「あー、きつかった!」、さあ下りだ。


川上村役場に着きました人口は4500人くらいと聞いていますがやはり役場が立派です。


村役場で自販機のコーヒーを飲み一休みして、ほぼ平坦な道を信濃川上に向け最後の6キロメートルを歩きます、千曲川沿いに歩行者道路があり安全ですそして気が付いたのですがこちらもデザインはともかく大きく立派な家が多いんです、高原野菜で潤っているのでしょうかTTPも問題なさそな雰囲気です。



今日は土曜日、部活の帰りでしょうか女子中学生が屈託の無い笑顔でだべっていました、おじさんはそのなんともいえぬ楽しそうな雰囲気に思わずカメラを向けました。


私が育てようとして成功しなかったルピナスがいっつぱい咲いてるじゃありませんか!


村役場から約6キロメートルやっと駅に着きました、12時半です出発してから5時間アー疲れたー、駅までのたった5メートルほどの登りも嫌で昔ながらの駄菓子屋風食堂に入り天ぷらそばを食べました駅そば風で期待通り?のお味なつかしや!



食事も終わり適度な休憩後2両編成の小海線デイーゼルカーがやってきました。
みんな親切で楽しい旅でした峠の下り大きな畑で「どこ行くのー」と声を掛けられ「村役場」と答えたら「行くついでだから乗ってけー」と言われて思わず乗ってしまい笑ってしまいました、別れ際に「また来てねー」と言われほのぼのしました。



                             お わ り

2016年5月23日月曜日

小海線の旧道を歩く 続き

昼食を済ませ11時45分小海駅を後に立岩湖に向けスタート。


10分も歩くともう50メートルを超えるようで下方遠方に見えるのが小海中学校です。


会社やら工場がだんだん少なくなり、いよいよ部落(区)の民家だけになってきます最後に見た工場は野沢菜中心の漬物屋さんでした。


1時間半ほど歩くと北相木村と南相木村との分岐に来ましたここを右に曲がります。


そして少し行くと何やら戦時中の国民服の親子像に出くわしました、説明書きを読むと、過去に南相木村で戦死された方が60人強(碑の裏の名簿を正確に数えずすみません)いましたとの事、この1本松に出征していく家族が集合しここで最後のお別れをしたそうです。


道すがらいろんな石碑がありますがやはり当時の主要な交通手段である馬を祀る碑が多いようです。


すでに2時間歩きましたチョット休憩にとバス停の椅子に腰かけるとツバメがにぎやかにエサを運んでくるではありませんか、でもこの巣チョット変わっています3連で入り口が手前と奥の2か所でしかも上の方にちょこっとしか空いてません、最近ツバメの巣がカラスに壊されヒナが食べられることが多いそうです、ツバメたちも対応したのでしょうか?


相変わらず豪農の家が多いですこの家は恐らく90年前ぐらいの養蚕農家でしょうか?


申し遅れましたが南相木川(千曲川の支流)に沿って登っていきます、龍安寺の石庭に通じるものがあります日本人は自然の美を大切に周囲との調和を第一に考えます、龍安寺は荒々しい海をイメージしていたと思いますが。


のどかで落ち着いた農村風景です。


村役場に到着しました、村人口は1200人をチョット下回る程度ですが役場は立派です。



小学校です、生徒数はスーごく少ないと思います、がこれ日本の誇ることだと思います必ず小中学校が立派なんです。


もうこの辺りは標高1000メートルくらいかと思います川の流れも下の方になり渓谷の流水音も心地よく木漏れ日にきらきらと美しく光ります、そしてフジの花が木々に賑わいを醸しています。


道をひたすら歩いていると渓谷越しに白壁の茅葺き屋根が見えるではありませんか何か?確認したくて橋を渡り近づいて見ました、昔、回り舞台だったようです、ですから床が高くなっています人口が少なくまた観光客も少なく維持管理が大変だと思います、いつまでも残して欲しいですね。



もう2時間半歩いてます向こうの1番高い山の右の方の切れ目が「馬越峠」標高1620メートルと思われます、今日泊る立岩湖はその8キロほど手前です。


やっと着きました「立岩湖」です、小海駅から3時間半歩きました。


渓谷を眺めるとひときわ大きな岩が中世の城のように立っています多分あれが「岩立」の名の由来かも?そして立岩湖は人工湖のようですダムが堰き止めています。


湖沼名と立岩荘の看板です。


まだ3時半ですからチョット湖を一周りします。



対岸が先ほど着いた立岩荘です。



カモが悠々と泳いでいます。



明日の登りは相当きついのでお風呂でよーく足をほぐし、ビールとお酒で体中の筋肉をほぐしゆっくり休むこととします。
                                                   続  く     

宮久保のバラ


やっと満開になりました、まだまだこれから開いてくるバラもあります。





切り花が先か写真が先か庭師?と競争です。


庭師に先を越され花が少なくなっています。


加齢で枯れてしまった梅ノ木に誘引しました。







菅野画伯の赤いバラに合うかなと思い台に赤い切り花を添えました(アレックスレッド)。




 我が家の庭師です、毎朝虫の駆除水やり雑草刈りにと汗を流しています。